今年のパリの7月は暑かった。私など、あまりの暑さに一度路上で気を失ったほどだ。「エアコンをつければいじゃない」と思われるかもしれないが、デパートや銀行など大型の施設以外にはエアコンのないフランス。そして、エアコンをつけたくとも、築100年単位の古い石造りのアパルトマンには、そうそう簡単にエアコンをつけることができないという建築上の理由もある。仕方なくもんもんと眠れぬ夜を過ごし、熱帯不眠症になっていたある日。「そうだ!映画館で涼めばいいじゃない。」と、クーラーのほんのり利いている大型映画館へ向かった。そして、ずらりと並ぶ最新作のラインナップから私が選んだのは‘La tourneuse de pages~楽譜をめくる人’。

舞台はとあるフランスの田舎町。ピアノが大好きで独特の才能を持つ10歳のメラニーは、教師の勧めで音楽学校の試験を受ける。その試験会場には、彼女の憧れの女性ピアニストが試験官として彼女の演奏を聞いていた。ところが、その女性ピアニストがメラニーの演奏中にファンからのサインをせがまれたことで、メラニーの集中力が途切れ…。その日以来ピアノと自らの心に鍵をかけてしまうメラニー。数年後、成長したメラニーと女性ピアニストとの奇遇な再会から、物語は予想もできない復讐劇へと変貌して行く…。
音楽を志すものが、その世界に抱く情熱の強さには狂気が宿っている。私は暗くゆがんだメラニーの心象風景を眺めながら自分の子供時代を思い出していた。メラニーとほぼ同じ9歳から音楽大学を目指し始めた私は「試験に落ちたら生きる道はない。」と当時は真剣に思いつめていたなあと、なつかしい。そうして向かった試験会場での出来事。必修課目のピアノの試験中に大きな地震が起きたのだ。想像以上に辛い緊張の中、私が廊下で出番を待っているさなかのことだった。運悪く、演奏中、地震にみまわれたある受験生の男の子は、その振動で緊張の糸が切れ、頭が真っ白になってしまったのか、その後まったく弾くことができなくなった。泣きながら廊下を駆け出していった彼の、それからの消息は、最後まで弾くことができなかったソナチネのように、ぷつりと途絶えた。劇中、メラニーの純粋すぎる音楽への愛は‘憎い憧れのピアニストの譜めくり人’になることで、新しい舞台へと進んでゆく。しかしこのメラニー嬢、性格も発想も暗い…暗すぎる。この陰湿さ、ゆがみきった復讐の方向性には背筋がぞっとする怖さがある。映画館でさわやかに涼もうとお気楽にやってきたのに、心の奥底へ氷のかたまりを投げ込まれてしまった。ああ、怖い。これでしばらくは、内側から涼しく過ごせそうだなあ…。