映画のスペシャリスト猫沢エミと、ただの映画大好き長谷川たかこがお届けするシネマ往復書簡。
ふたりの間で映画をテーマにどんな会話が交わされるのか?
2007/05/08
たかこさんこんにちは。パリに戻ってきました。しかし、毎日快晴で夏のようですね。まだ4月だと言うのに、こんなにも夏めいてしまっては、ヴァカンス時期にはどんなことになるのだろう?と心配です。でもやっぱり暑いのは素敵。そしてふと暑さの中で、今まで夏に見てきた映画のラインナップが頭をよぎります。
夏の匂いのする映画はたくさんありますが、なんといっても真っ先に思い浮かべるのが、トラン・アン・ユン監督の‘青いパパイヤの香り’でしょうか。1962年生まれのトラン・アン・ユンは、ベトナム戦争から逃れるために12歳のとき、両親とフランスへ移住しました。 たしかこの映画を撮った当時、彼は‘国を離れてから一度もベトナムへは行っていない’と、話していたのを記憶しています。パリにはたくさんの移民の人たちがいますが、日本人の私たちが移住するのとは違った、非常に差し迫った思いで国を出てくる人たちもたくさんいるでしょうね。完全にフランス人のアイデンティティーを持ったトランが、この美しい映画を、実際のべトナムを目にするよりも何倍もみずみずしく鮮やかに見せることができたのは、もうひとつの祖国へのオマージュからではないかと思うのです。舞台は1951年、ベトナム・サイゴン。ある資産家の家にムイという10歳の少女が奉公人として雇われるところから始まります。この映画は、ワンシーンの中にひろがる光、風、匂い、湿度、温度といったものを控えめなストーリーが糸の役割となって紡いでいます。貧しいけれど心の美しいムイが、そのままの心で大人になり、幸せの道へと静かに上ってゆく…最小限のせりふのやりとりの中で、五感に訴えるシーンが印象的です。 湿度の高い、しみるような暑さと日差し。つるつるのムイの肌にはりついた髪、小さな虫たち、そして青いパパイヤの身に、とんとんと鉈(なた)で切り込みを入れて作るみずみずしいサラダの香り…。
パパイヤというと、日本ではやまぶき色のフルーツばかりを思い出してしまいますが、青いパパイヤはフランスではベトナム料理屋さんなどで食べられますね。この季節になると、私は夕方からお気に入りのベトナム料理屋へ行って、パリではめずらしくうんと辛い、渡り蟹をまぶした青いパパイヤのサラダとサイゴンビールでやるのが大好き。そして、信じられないことにセットを作ってすべてのシーンを撮影した、この夢のような映画をいつも思い出すのです。
ところで、前回のテーマだった、フランソワ・オゾンの‘ふたりの5つの分かれ路’のDVDに普通の時間軸バージョンが入っているなんて驚き!ぜひ見てみたいです。
青いパパイヤの香り
1993年、フランス/ベトナム作品
監督・脚本/トラン・アン・ユン
出演/トラン・ヌー・イエン・ケー、リュ・マン・サン 他