猫沢シネマ

映画のスペシャリスト猫沢エミと、ただの映画大好き長谷川たかこがお届けするシネマ往復書簡。
ふたりの間で映画をテーマにどんな会話が交わされるのか? ふたりのプロフィールはこちら
たかこ&猫沢のシネマ往復書簡 N゜5
たかこさん、お元気ですか?先日、たかこさんのお宅で食事をしていたなと思ったら、ばたばたと日本へ戻り、本当に「あっ…」と言っている間に、あと1週間ほどでまたパリへ帰ります。1ヶ月という短い期間でパリと東京を往復するのは、さすがにシンドイですが、なんとか元気にやっておりますよ。ところで先日、日本のかかりつけの病院へ行った際、待合室にたかこさんが連載している‘Psiko-プシコ-’(ポプラ社刊)というとても面白い心理学をテーマにした月刊誌のバックナンバーがすべてそろっていて「猫沢さ~ん」と看護婦さんに呼ばれても気がつかないほど熟読してしまいました。

Les yeux clairs(明るい瞳) プシコを読んでいるときも思ったことなのですが、今、日本人はのきなみ疲れているのでは?ということ。別に日本人だけが疲れているわけではなく、フランス人だって疲れた人はたくさんいますが(その証拠に年間の抗鬱剤消費量が世界一というデータもあるほど)その疲れている状態の発散の仕方が、フランスと比べて閉鎖的だったり、‘気が狂う’という表現に過剰に反応する保守的な社会性が、よりいっそう人々を疲れさせてしまうのではないか?と思ったのです。実際、パリに住んでいると、ちょっと頭がおかしい人はとてもわかりやすくおかしかったり、風邪をひくのと同じような感覚で精神的にバランスを崩すことは誰にでもあること、と認識されているなと感じます。そのオープンさが、日本よりも救われているのかもしれない・・・そんなことを考えていた昨日、フランスの新人映画監督に贈られる最高の名誉‘ジャン・ヴィゴ賞’を2005年に受賞した‘明るい瞳’という映画に出会いました。 ふと監督名を見ると、たかこさんが前回書かれていた‘誰かを待っている’の監督ではないですか!まったくの偶然だったのですが、撮影当時若干28歳という若さにこの人間洞察の深さ。まさにどぎもを抜かれました。

舞台はフランスの田舎町。30代半ばのファニーは、小学校教員をしている兄、ガブリエルとその妻、セシルと共に暮らしている。けれど、彼女は近所でも有名な‘頭のおかしいマドモワゼル’で、11歳のときに自殺未遂もし、その後は精神病院に入っていたこともほのめかされる。毎日ファニーの耳元では‘非現実の声’が響き、それがはじまると冷静さを失い「黙れ」と自分に言い聞かせる彼女の姿は、見ているこちらがイライラするほど異常そのもの。ところがそんなファニーなのだけど、弱っている印象はまるでない。強く自分と対抗し、自分の純粋さを持て余しながらも、生きる気力に溢れているのです。ああ、これは日本とフランスの‘心’の現状に似ているわ…そう、思いながら見進みました。彼女が精神の均衡を崩した原因かもしれない父の墓参りのため、ある日、家を飛び出しドイツへ向かうファニー。カタカタと壊れた車が爆走するかのように、ファニーはアンバランスなまま旅を続けてゆきます。その姿の愉快なこと!力強いこと!カフェで隣のマダムのタルトを盗み食い、脚を怪我した青年の椅子運びをパワフルに手伝う。

そう、彼女は、はたから見ればかなりおかしいのだけど、決して自分を見失っているわけでないのです。その姿からは「おかしいかどうかなんて、他人の目が決めることではないのよ。」と心の声が滲み出ている。そして、旅の終わり(これは始まりともとれる)に出会う本当の愛。言葉の通じないドイツ人の木こりと、心を通わせてゆく終盤のシーンは、映画史上にも残るであろう美しさ。言葉というものが成すことと、成せないことがはっきりと浮かびあがり、「だから、フランス語があまりできない日仏カップルが思わずうまくいってしまうのかも…」などと、ひとり唸ってしまった私。そして、きっと誰の精神の中にもいる、ファニーを目に見える形で引っ張り出してくれたボネルのおかげで、世界中のどれほどのファニーたちが救われるか知れないわ、と若き名監督に拍手を贈ったのでした。 この監督、ますます目が離せない。‘誰かを待っている’も絶対に見なくっちゃ!
Les yeux clairs(明るい瞳)
2005年フランス作品
監督・脚本/ジェローム・ボネル
出演/ナタリー・ブドゥフ、ラルス・ルドルフ

(c)2005 THEUS PRODUCTIONS-FRANCE 2 CINEMA
2007年8月、渋谷シアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー

●‘明るい瞳’公式サイト
http://www.astaire.co.jp/akaruihitomi

長谷川たかこ プロフィール
パリ在住20年の文筆家。版権エージェント・翻訳家を経て出版プロダクションを立ち上げ、フランスのバンド・デシネ(漫画)を日本に紹介。漫画家の長谷川町子は伯母にあたる。
長谷川たかこ プロフィール
猫沢エミ プロフィール
ミュージシャン、エッセイスト、映画解説者、グラフィティーライター。2002年よりパリ在住。 著書に "パリ季記~フランスでひとり+1匹暮らし~" (地球丸)がある。
オフィシャルHP: Ou est mon chat?(www.necozawa.com)
猫沢エミ プロフィール
バックナンバー