フレンチ・コード
ガイドブックには載っていないパリとフランスとフランス人の日常

映画のスペシャリスト猫沢エミと、ただの映画大好き長谷川たかこがお届けするシネマ往復書簡。
ふたりの間で映画をテーマにどんな会話が交わされるのか?

ギョーム自身がそうだったのかもしれない、ベルサイユの子 | Versailles

2009/04/09

猫沢

たかこさん、またしてもすっかりご無沙汰してしまいまして、すみません!日本は桜満開の季節となりました。この世界的な不況の暗さも、桜が咲いているうちはひととき忘れられるのかしら?と思いながら、私は相変わらずの貧乏暇なし状態です。そして、もうすぐパリへ戻ります。ここ数年、この時期はいつもパリにいて、桜をぜんぜん見れなかったので、今年は花見→パリという、なかなか素敵な春となりそうです。

さて、フランスでも好評だったという、ギョーム・ドパルデュー主演「ベルサイユの子」を、先日見ました。まず、試写会用のパンフレットで、観光名所として名高いベルサイユ宮殿のある森周辺に、こうした厳しい現実があることを知り、ずいぶんと驚きましたが、考えてみれば、ブーローニュの森も娼婦や男娼のメッカですものね。街にはないコミュニティが存在してもおかしくはないと思い直しました。

物語は、23歳の母親ニーナが、生活保護が開始される年齢よりも若いことを理由に、幼い息子・エンゾを連れてパリを彷徨うところから始まります。冒頭からコントラストの強い印象的なシーンが続いて、夜の場面では、一生懸命目を凝らさないと何が映っているのかもよくわからないほど。しかしこの集中こそが、彼らの言葉にはできない苦しい現状の世界に、私たち‘家のある人’が入ってゆく力に変わります。そしてニーナは、福祉士の勧めにより、ベルサイユ宮殿近くの保護施設へと搬送されますが、次の日にはまた当てのない生活へ戻らねばならず、道に迷って森へ踏み込んだふたりは、ギョーム演じる世捨て人・ダミアンに出会います。そしてニーナは、ダミアンの元へエンゾを置き去りにし、姿を消してしまう。残されたエンゾは、ダミアンを少しずつ慕うようになり、ダミアンもまた、エンゾに今まで感じたことのない愛と責任感を持つようになります。

映画の処々で繰り返されるダミアンのつぶやきは、そのまま親に捨てられたエンゾと、現実の世界で父・ジェラールに愛されなかったギョーム自身の言葉に聴こえるのは私だけでしょうか?その後ダミアンがエンゾを社会へ参加させるため、音信不通だった父の家へ戻り、父は少なからずエンゾを介して親子の関係を修復しようとするも、互いにうまく言葉に表せず、役目を果たし終えた後、再び社会に背を向けてしまうあたりも、映画と呼ぶにはあまりにもリアリティがありすぎると感じました。そう、この映画は、映画という一種夢の世界の側面をすっぱりと切り落とした潔さが全編を通して貫かれている。しかし、殺伐とした画面がやけに美しく見えるのは、これが長編第一作とは思えない監督・ショレールのブレのない視点と、風景を盛り込んだグラフィカルなセンスのたまものではないかと思うのです。

哀しいほど美しく、淡々とした物語は、逆にこの現状が作り話ではないことを観る人に正面から突きつけます。そして、ラストシーンでさえ、決してハッピーエンドを期待させない、どこまでも走っていってしまいそうな現実感を残す。エンドロールが始まったとき、そういえば、ギョームはもうこの世の人ではないのだとふと思い出しました。そして、エンゾに靴紐を結ばせている間に去ったダミアンが、二度と映画の中でも登場しなかったことにまた気がついて、初めて涙がこみ上げてきたのでした。

最後に余談ですが、ダミアンの父の若い恋人役で出ていたオーレ・アッティカ。どこかでものすごく見たことがあるなと思ったら‘サム・サフィ’のエヴァでした。相変わらず魅力的で好みの顔です。


Versailles-ベルサイユの子
2008年 フランス作品
監督・脚本/ピエール・ショレール
出演/ギョーム・ドパルデュー、マックス・べセット・ド・マルグレーヴ、
ジュディット・シュムラ、パトリック・デカン他

* 日本では2009年5月2日(土)から銀座シネスイッチ他、全国ロードショー。
  http://www.zaziefilms.com/versailles/

シネマ往復書簡