たかこさん、こんにちは。パリから戻って早1ヶ月が過ぎました。日本は梅雨に入り、窓から眺める大気の色もうすい灰色。ところでいつも、パリ⇒日本の精神的なスイッチに苦労してしまう私です。逆だとなんの垣根もないのに、不思議。特に今回、本当に何年ぶりかの入梅の季節を体感して、心も体も制御不可能に陥りました。4月から一気に夏へかけあがるフランスの季候とは違い、一度すべてに靄がかかってしまうこの季節は、とても日本的で嫌いじゃないのですが、あまりにも久しぶりで忘れていた感覚だったのでしょう。
そして、たかこさんがフランス人のお友だちに「変なところが気になるのね」と指摘された、配給に並ぶ場面。あれは、少し前の派遣切りに伴う派遣村の配給風景をまざまざと思い起こさせるシーンでもありますが、リアルな風景のはずなのにファンタジーに近い(しかも背筋がスッとするような薄ら怖さの)リアリティのなさで、日本社会にはびこるすべての現実が形式化してしまうスピードの速さと実情を見事に表しているなあと思うのです。
このお父さんが黒須に再会するところから、お父さんの現実は不可思議なファンタジーにものすごいスピードで引きずり込まれてゆく。息子・健二の上手すぎるピアノも、お母さんが泥棒に拉致されてゆく後半の破壊的な展開も、すべてがリアリティを伴わない。その伴わなさこそ、逆に今のトウキョウという街に色濃く横たわっている、非現実感のあらわれなのではないか?と。 扱っているテーマは、ものすごくありきたりなのに、全編を通して感じる、現実から数センチ浮いたような浮遊感が何よりも恐ろしくそして、映画を美しいものにしているなあと私は感じました。
ところで、近年の日本映画って他の国のものに比べると、引きのシーンが多いなあと思うのですが、たかこさんはどう感じるでしょうか?その、遠慮がちで傍観者的な視線は、先に書いた配給の場面と、佐々木が黒須の家に呼ばれるシーンでもっとも感じます。娘も妻もすべてを知っていて、でも、核心には決して触れない距離感と歪んだいたわりが冷たくて切ない。結局、腹を割って対峙することなく、黒須とその妻はガス自殺を遂げてしまう。一方、佐々木家の人々は、家族解体ぎりぎりのところまで行って、はじめて再生への道を見つけてゆく。フランスの批評で指摘のあった‘前半と後半のアンバランスさ’は、取りも直さず、日本人が持っている、両極端なダイナミズムそのままなんじゃないかと。そして、普段は涼しい顔して何を考えているのだかわからない日本人が内面に持っている激しい部分からしか生まれない、本音が作り出す新しい明日のようなものに、監督はすべての希望を託したんじゃないかと、限りなく深読みする非常に日本人な私です。
トウキョウソナタ
2008年 日本・オランダ・香港作品
監督/黒沢清
出演/香川照之、小泉今日子、小柳友、井之脇海 他




