調香師 新間 美也さん
Miya Shinma Nez

道ですれ違った女性は、日本人形のような黒髪とぱっちりした目に見覚えがあった。声をかけたら、調香師の新間美也さんだった。「アトリエがすぐ近くなんです、一度遊びに来てください」というお誘いに乗って、後日アトリエにお邪魔する。マレのアパルトマンにあるアトリエは、居心地いい古さのサロンと、香料やビーカーが並ぶラボからなっている。

きっかけ
「大学を出てOLをやっていたとき、ある調香師がインタビューで、香りを作るのは作曲に似ているって言っているのを読んだんです。私は3歳からオルガン、5歳からピアノをやっていて作曲することもあったので急に興味を持ちました」調香との最初の接点。
日本では調香を学べる場所がなく、調香の個人教授を受けるが、「やっぱり本場で学びたかった」と美也さん。1997年、旅行で行ったフィレンチェでオーダーメードの香水を作ったのが、決定的なきっかけになった。ヨーロッパで調香を学ぼう。

自分の香水
パリで、モニック・シュランジェという調香師との出会い。彼女はヴェルサイユにある著名なISIPCA(香水・コスメティック・食品香料の学校)の教師で、1976年に5ème Sensという調香学校を設立した人。
彼女について2年間学んだあと、美也さんは自分の香水を作り出す。そして作品をボン・マルシェに持っていった。デパートの中で一番高級、お洒落なパリっ子が集まるボン・マルシェ。ここに商品を置いてもらうのは至難の業と言われる。ところが一発でOK。名前をそのままブランド名にしたMiya Shinma の香水と香り扇子がパリでデビューした(彼女に見覚えがあったのは、ボン・マルシェでお見かけしたからだ)。
「なんだか疲れてしまって」と、8年続いたデパートとの契約を打ち切ってしまう(もったいない!)
2007年-2014年、美也さんは日本の化粧品メーカーの仕事や、調香の講師など、多いときには年に6回もパリ-東京を往復する。そして2年前から、再び本腰を入れて、自分ブランドの香水作りを再開している。

ひとつの香りが生まれるまで
椿、桜・・・美也さんの香りの名前はシンプルだ。まず名前を決め、次に詩を書く。文字にすることでイメージが確立し、フローラル系、オリエンタル系など大筋が決まる。それからレシピを作り始める。
香料の数は、自然、合成合わせて5000近くあり、美也さんの香水には50~60の香料が入っている。つまり料理のレシピよりはるかに複雑。最初のイメージに近づけるように試行錯誤し、変更を繰り返し、ひとつの香りが生まれるまで約6ヶ月。
椿と題された香りを嗅いだら、私のイメージにピッタリ合った:ぽってりとした花弁、濃厚な赤、芳醇なのに清楚さがある冬の香り。この香りをつけたら絶対人が振り返りそうだ。