2008/12/07
疲れてちょっと落ち込んだ深夜にはロビン・ウィリアムス、大事な交渉に行くときはエミネム、恋をしているときは長年の道連れ、デヴィッド・ボウイ・・・音楽はいつもそばにいて、元気や励ましや感動をくれる。だから「音楽療法」はきっと心身に働きかけるだろう、と漠然と思っていた。でも具体的にどんな療法で、どんな効果があるのか、どんな資格がある人が行っているのだろう・・・と思っていたところへ、フランスでその勉強をしている日本人に出会った。音楽療法を学べる学校を探して、フランスにたどり着いた長船まみさん。少女っぽさの残る顔は、時折とても成熟した表情を見せる。
音楽どっぷりの生活:
ピアノは4歳から、5歳で初めて曲を作り、その後、ピアノ、作曲、エレクトーン、即興のレッスンとコンクールに追われ、中学からはオーケストラクラブでチェロを始める。両親は大のジャズファンで、小さいときからライブやクラシックコンサートに連れていってもらった。
という生い立ちを聞くと「そして音大へ」と誰もが想像するが、高校に入ってお医者さんになりたいと思い出した。中1の時に地元でおきた神戸大震災で焼きついたお医者さんの重要さ、加えて、神谷美恵子さん(ハンセン病患者の治療に生涯をささげた精神科医)のビデオに影響を受けたからだ。ところが高3の夏、ふと立ち止まる:病気の人を助けるという使命感が自分にはあるのだろうか?
私が音大に行くと信じていた先生は「医者になる」と聞いてびっくり。「じゃ、どうしてピアノをやっていたの?」とたずねられて、考えた。
「音楽は私の表現方法だし、ストレスや煩わしいことから解放される・・・」そう答えた時、音楽の持つパワーにハタと気がついた。
初めての挫折:
程なく、図書室でアメリカの音楽セラピーの本に出会う。「これだ!」と直感した。自分にとってなくてはならない音楽を、人を助ける手段として使う・・・私がやりたいのはこれだ。
インターネットで見つけた論文「音楽が脳に与える影響」を書いた人が慶応義塾大学環境情報学部の学生と知って受験して入った。
4年後、就職も決まっていたのに、ためらいが生じ、音楽セラピーで有名なニューヨーク大学の大学院を受けることに決める。もとから外国に出ることを薦めていた両親は、この決断に大賛成。
しかし、最終面接で落ちた。自信はあったのに!それまで、挫折ということを知らなかったまみさんにとって大きなショックだった。落ちた理由を聞きに言ったら「君には社会経験がなさすぎる。それでセラピーなんてできるのか?1年間、経験を積んでまた試しなさい」
フランスへ:
図星の指摘をされて、目の前が真っ白になる思いだった。途方に暮れているとき、パリやモンプリエにもセラピーの学校があると友達が教えてくれた。そこで1年間、フランス語の勉強をして、パリ、モンプリエ、NYと3つの大学を受けて、パリ第五大学アートセラピー科に決めた。2006年秋のこと。
この科の学生は、すでに仕事をしている社会人が多いので、授業は月に1週間(一日8時間)集中して行われる。平行して病院・診療所でのインターン200時間、教育・社会施設で200時間、計400時間のインターン活動をしなくてはいけない。インターン先探しを学校が助けてくれないので、言葉の壁はあったけど、当たって砕けろ!まみさんは病院、老人ホーム、刑務所など片っ端から電話をかけ、可能性のありそうなところに履歴書と手書きのカバーレターを送った。その結果、同級生の誰よりも早くインターン先が見つかった。1年目は精神病院内の成人向けセンターで200時間。次に障害のある子供が通う小学校で200時間。
「患者さんとのコミュニケーションが大変だった。最初は、妄想なのか現実の話なのかもわからない。適切な言葉を選べないのがもどかしく、帰り道どっと疲れた」
しかし、誰とも会話をせず叫び続けるおばあさんが、ギターを渡したとたんにっこりし、弦をはじき始めたり、自閉症の子供が打楽器の音に反応し、コミュニケーションができるようになるなど、音楽のミラクルを目の当たりにする。
目下、病院の重度自閉症児のセクターで、音楽セラピストと一緒に研修をしている。
そんなに音楽が好きなのに、音楽家になろうとは思わなかったの?という質問をすると、
「大学にいるとき頼まれて作曲をしたことがあった。徹夜して10パターンくらい作って、聞かせたら『うーん、イマイチ』。さらにいくつか作って持っていったら、一番平凡で、一番好きじゃない曲が『うん、これがいい!』と選ばれた。そのとき、仕事のシーンではこういう妥協や不本意なことがたくさん出てくるだろう、作曲を仕事にするのは私には向かない、と思った。音楽は趣味の分野においておこうと」
来年3月卒業したら、日本に帰ってフランスでの勉強や体験が役立てられる仕事を見つけたい。「フランス人は扉を開いてくれるまで時間がかかるから、パリの最初の1年は辛かった。今は居心地がいい。また戻ってきそう」その時は日本での体験を是非聞かせて!