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芸術の都パリなのに、アート関係で活躍する日本人は初めて。女らしい雰囲気にキリリとした話し方が魅力的な出馬未香子さんはパリに住んで18年。
フランス語を話したい
高校まで過ごしたカトリック系の学校ではフランス語の授業があり、叔母がベルギーに住んでいたので、自然とフランス語に興味を持ち始めた。フランス語を話せるようになりたい、という思いは高校に入って強くなり、17歳でベルギーにホームステイ。卒業後、ベルギーに留学、その後フランスに来て語学学校に通う。当事は日本人留学生が多くて、語学学校のクラスの半分が日本人だった。
ふとある日、立ち止まる。「こんなに語学だけやっていて、私は翻訳者か通訳になりたいんだろうか?一体、自分は何がやりたいんだろう?」
アートを企画する・・・
という答えが出てきた。展覧会の企画や美術品の鑑定の仕事、アートマネージメント。
パリのCIDJ(Centre d’Information et de Documentation Jeunesse)という学校案内センターで探し、IESA(Institut d’Etudes Supérieures des Arts)という学校でそれが勉強できることを知り、訪れる。雰囲気が気に入って、即入学を決めた。フランス人に混じっての授業についていけるか、という不安はあったけど、やってみるしかない。
18歳で一人ヨーロッパに飛び出してきた未香子さんには、迷わずに突き進んでいく度胸があるようだ。
人生を決めたIESA
IESA で、Marche de l’Art(美術市場)というコースに入り、美術史、イコノグラフィー(図像学)などの授業を受ける。パリは美術館のような街だから、美術館で、本物の絵を前に先生が講義をしたり、ギャラリーに行って鑑定の説明を聞いたりと、机上の勉強に留まらない。特にイコノグラフィーの授業は面白かった。例えばタブローに弓矢の刺さった若い男性がいたら『サン・セバスチャン』の絵であるとか、お棺から起き上がっている人物と周りの民衆の中に鼻をつまんでいる人物がいたら『ラザロの蘇生』がテーマであるなど、この授業では登場するものや人物の様子から作品テーマの手がかりを得るテクニックを学んだ。
この知識は、今でも教会や美術館を訪ねるとき活躍している。
学校は2年目から授業のほかにスタージュ(研修)が義務付けられていた。学生には、ギャラリーオーナーの後継ぎや、競売吏を目指す人などがいて、それぞれコネで研修先を見つけてくる。未香子さんが見つけられなくて困っていると、校長先生のマダム・シュミットが「あなたに最適な研修先があるわ!」
日本人が立ち上げたエクスポジション企画会社、Art Sanjoだ。そこで研修をし、IESAを卒業したとき、そのまま就職が決まる。マダム・シュミットの人脈と面倒見の良さのお陰だ。
展覧会の企画、見積もり、美術品の運搬、設置まで、小さい会社なので、展覧会の1から10までこなさなくてはならず、展覧会はひとつひとつ違うし、仕事が面白くて・・・14年の月日が経ってしまった。
その間に結婚、2人の子供の母親になる。
新しい章へ
社長とも息が合い居心地よかった会社を辞めたのは2つ理由がある。
日本にいる母親が病気になったとき、すぐ飛んでいける自由な身になりたい。
14年で一通り仕事を覚えたので、新しい環境で一人立ちしたい。
不況で就職困難なこの時代に潔くフリーになった未香子さん。PARIX-MIXという会社を作り、エクスポジションや写真撮影などのコーディネイトを引き受ける。
新しいページはどんな風に埋まっていくだろうか?
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