- 芙美子さん、ウェディングのお仕事の日
- お客様の滞在先ホテルの部屋で出張ヘアメイク
- メイク道具のほんの一部
- 生花を使ったヘアアレンジは大人気
- 和やかな雰囲気の中、最後の仕上げ
- 芙実子さんのヘアメイク作品
- 勤務するサロンが所有する「プライベートサロン」
「人に感動を与える仕事」を求めて
音楽が好きで、高校のときにはミュージシャンになりたかった。「ギターをやっていたんですが、プロになるほどの腕はないと悟り、方向転換しました」と笑う。それでも、音楽と同じように人に感動を与える仕事に就きたい気持ちに変わりはなかった。当時、週一の番組『ファッション通信』を欠かさず見ていた。音楽ライヴと同じような感動があり、驚きあるファッションと、ランウェイを歩くモデルの姿に、一緒にステージを創り上げたいと思うようになった。「パリコレの仕事がしたい!」。
高校卒業後は美容学校へ進学し、ヘアメイクを学び、美容師免許を取得。ここですぐにパリへ向かうという選択肢もあったが、「名ばかりの免許では意味がない」と、東京青山の有名サロンに就職。カットは出来て当たり前、そこにプラスして感動を与えるのがモットー。それは、芙実子さんの考えと一致していた。
サロンのお客様のリターン率から、いかに多くの感動を与えることができていたかは一目瞭然だった。
渡仏・・・
2006年、憧れのパリコレへ近づくために観光ビザで渡仏。このとき、仕事さえ見つければパリに残れると思っていた芙実子さんは、サロンの面接を受けた。面接に合格したものの、観光ビザであることが判明し採用却下。
「バカですよね。何も下調べせずに来たもんだから、観光ビザでも大丈夫だと思ってて(苦笑)」。
出直すために一旦帰国、地元のサロンで働いて資金を稼ぎ、一年後にワーキングホリデービザで渡仏。観光ビザでの滞在中、語学の必要性をひしひしと感じた芙実子さんは、語学学校に通い、その合間に生活費を稼ぐために飲食店でアルバイトをした。
パリコレへは少し遠回りに見えたかの一年だが、実は、このときの友人関係がその後の仕事に大きな影響を及ぼすことになる。すべては、無駄ではなかったのだ。
予想外のラッキーから、夢の仕事へ
ワーキングホリデーを終え、2008年に学生ビザで再渡仏。仕事も言葉も、芙実子さんは着々と前進する。
ある日、友人からの依頼で、ウェディングのヘアメイクを手がけた。これをきっかけに、ウェディングの仕事が入ってくるようになる。
2009年には、友人が、パリコレのアシスタントを探しているメイクアップアーティストとの縁をつないでくれる。「ベースメイクだけだったはずが、フルメイクさせてもらえて。自分がメイクしたモデルがランウェイを歩く姿を見守りながら、あまりの感動に涙が出そうになりました」。
このときの仕事が認められ、パリコレには欠かせないヘアメイクアップアーティストの一人となっていく。さらに、友人が勤めるヘアサロンに期間限定の助っ人として行ったはずが、その後も、勤務することに。しかもサロンは、芙実子さんがフリーランスとしてパリコレやウェディングの仕事を併行することに理解を示してくれた。
「とにかく人に恵まれている」としきりに芙実子さんは言うが、実力と努力なくして、このラッキーはあり得ない。
次なるステップへ
32歳になる2012年には個人事業主の登録をし、トータルウエディングサービスを開始。お客様からの喜びがダイレクトに伝わってくるのがやりがいだという。滞在先ホテルやパリの自宅でのヘアメイクが不可能なときは、芙実子さんの勤務する サロン所有のプライベートサロンを提供してくれるので頼もしい。
お客様に喜んでいただくことは大前提。そして、自分自身も喜びを感じながら仕事する芙実子さん。「自分の引き出しからいろいろ取り出して、作り出すことが喜び。ヘアもメイクも、自分のイメージとズレがなく、そのとおりにピタッと再現できたとき、なんともいえない嬉しさがこみあげてきます」。クリエイティブな仕事だけに、悩むことも多いが、それだけに達成感も大きいという。
「フランス人は常にバカンスのために働いていて、あまり向上心が見られない。そんな雰囲気に流されないよう、常にレベルアップしたい」と、今もまた、新しいプロジェクトに向かって邁進中だ。
「美容学校の研修でパリを訪れたとき、『ここに住んで、パリコレの仕事する!』と言っていたみたいなんです。私にはそんな記憶ないんですが、友人がその言葉を覚えていてくれて。今、実際にそうしてるんだな、としみじみ感じています」。インタビュー中、目をキラキラ輝かせ、まっすぐ私を見て、心から楽しそうに仕事のことを話してくれる芙実子さんが印象的だった。これからどんな活躍をしてくれるのか・・・(Chiharu)







