ソムリエ 染谷文平さん
Sommelier

個人的な話で申し訳ないと思いつつ、前置き:実は、過去に一度だけ染谷さんとパリで会っている。2003年、私が訪れたレストランで、彼はサービス係として働いていた。話してみたら、いくつか共通点があったり、名前が(役者さんっぽくて)印象的だったので、記憶に残っていた。
年月は流れ、ひょんなことで彼の名前を耳にし、現在は、ソムリエとして2つ星「Passage 53」で活躍していることが判明。今回の取材が、約10年ぶりの再会となった。

フランスとの出合いから、労働許可証の取得まで
大学時代に訪れたフランスで「ここだ」と強く感じたという染谷さん。「実は、大学では東洋史学を専攻したんですけどね」と笑う。メンタリティ、生き方、美しい街並。すべてが染谷さんの心に響いた。「ここに住みたい!」。その気持ちを胸に帰国。その後、日本でもフランスを近くに感じたくて、ホテルのフレンチレストランでアルバイトを始める。大学卒業後もそこで仕事を続け、24歳でフランスの地方へ飛び立つ。観光ビザでの3ヶ月の渡仏だっが、フランスへの執着は強まる一方。
間もなく再渡仏、今度はパリへ。ソルボンヌ大学付属の語学学校へ通い、約半年後にはプログラムを終了。帰国が迫っていた。日本には帰りたくない、どうしてもパリに住みたい !がむしゃらに仕事探しをする日々が続いた。「人生で一番苦しんだ時期でした」と振り返る。
幸い、日本でのレストラン経験と染谷さんの情熱を認め、チャンスをくれた日仏共同経営のレストランがあった。おかげで9ヶ月更新の仮労働許可証(現在は廃止)を取得するものの、染谷さんの戦いはまだ続く。就労条件の制限をなくすため、仮ではない労働許可証へ切り替えなければならない。
「紙(労働許可証)は簡単に取れるものではない。自分でなんとかしようと、労働局へ出向いて情報収集したり、必死になって努力しました。本気でフランスに住みたい思いは誰にも負けませんでした」。
穏やかな染谷さんが力を込めて話す姿に、生半可な気持ちではなかったことがじんじんと伝わってくる。血のにじむような努力の甲斐あって、約3年を経て、“自分の力で”念願の労働許可証を取得するに至る。

新たなステージ、ソムリエとしてのスタート
実は、日仏共同経営のレストランに勤務しているとき、休日のみ、3つ星「ギィ・サヴォア」で研修させてもらっていた。
「タダ働きでいい、とお願いしたんです。世界が変わりましたね。ゾクゾクしました。そこではたった一日で学べることが、当時働いていたところでは3年かかるくらいの違いに衝撃を受けました」。
そんな経緯もあり、労働許可証を取得してすぐ、2006年2月、ソムリエ・アシスタントとしてギィ・サヴォアへの就職を決める。ソムリエになりたいと思ったのは、それまでの3年間に出会った人たちや、両親を連れて行った3つ星「ルカ・キャルトン」(現「サンドランス」 : 3つ星を返上して2つ星へ)での料理とワインのマリアージュに感動したことが影響しているという。ギィ・サヴォアには一年半勤務したが、非常に厳しい仕事で、休日はいつもぐったりだった。
2007年9月には、染谷さんがソムリエになりたいと思うきっかけを与えてくれた「サンドランス」に移る。

ぶどう畑へ
2008年9月、もっとぶどう畑の近くへと、殆ど無計画でブルゴーニュ地方へ移住。昼と夜のレストランの仕事の合間や休日には、ありとあらゆる生産者の畑を見て回り、写真を撮りまくった。その行動たるや、スパイ扱い(!)されることもあったほど。
その後、レストランのオーナーと折りが合わず、辞めることを決心し、約100通の履歴書をワイン生産者に送る。レスポンスがあったのは2通。うち、日本でも有名な作り手、ドミニク・ローランで働くことになる。
ただし、仕事が始まるまでに空白の2ヶ月間があった。染谷さんはパリに戻り、ギィ・サヴォア時代に知り合った佐藤シェフの「Passage 53」で短期勤務。そして満を期して、ぶどう畑へと飛び込んだ。
ぶどう畑のいろはから学ぶ日々。「ゼロということは、学ぶことばかり。非常に充実した毎日でした」。
2011年には、アルザス地方へ。70通送った履歴書の中から、レスポンスは2通。大好きな生産者、マルク・クライデンヴァイスでの一年がスタートする。仕事の合間には、相変わらずぶどう畑の研究を続け、ソムリエとして働いてお金を稼ぎ、ワイン雑誌への寄稿も始めた。
2012年初めには、今のうちに世界のワインも見たいとイタリアを志すものの、イタリアビザが取れず、計画は暗礁に乗り上げる。「やるだけのことはやったけど、ダメだった」。

これからのこと
全力で突っ走ってきた染谷さんは、大きなショックで少し疲れを感じたという。今はパリに戻り、「Passage 53」で、ソムリエとして一緒に3つ星を目指すのが当面の目標。「まだ混乱していて、気持ちの整理がついていない。まるで2つに引き裂かれた感じです。今後のことはゆっくり考えるつもり」。

「ぶどう畑が隣にないと恋しい」とつぶやく染谷さん、近い将来、畑でぶどうを熱心に世話する染谷さんの姿が見られる気がした。そしていつか、フランスのどこかでワインバーをオープンしているのではないかしら・・・(Chiharu.U)

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